境石は参勤交代を含め江戸時代の統治および津和野藩の歴史が秘められており藩政時代の大切な文化財


水源公園 境界石


■ 水源公園 境界石
この境界石は、田野原の星坂地区にある番所跡付近の峠に建ててあったもので、江戸時代に岩見国と周防国の境をはっきりさせるためにつくられたものです。正面には「従是西津和野領(是より西津和野領)」と文字が刻まれています。ここから津和野から廿日市に通じる街道があり、参勤交代道として利用されるなど、岩見と瀬戸内海を結ぶ主要な街道のひとつとして多くの人々が往来した道でした。
明治になり番所跡付近から取り除かれ、田野畑の神社境内に移して保存されていましたが、昭和40(1965)年に現在の田野原一本杉のそばに建て替えられました。
礎石には「享保一四年巳酉八月二十日之建(享保14(1729)年8月20日にこれを建てる)」と説明されています。
また、六日市町文化財審議会の説明板は
史跡 津和野藩領境石
この境石は周防(萩領)と岩見国(津和野領)、今の六日市星坂と錦町宇佐郷との境、江堂の峠に建ててあったものである。この道は亀井氏の参勤交代の順路にあたり江戸時代(享保14年8月20日・西暦1729年)に藩主が建てたもので、二百十年を経ている。
明治初年廃藩置県の為、当時の田野原庄屋・蔵方宇佐郷畔役と立会のもとに撤去し代わりに「是より西浜田県御支配地」という木製の標柱を明治4年12月に建て、境石は田野原元郷主神社境内にされた。
この境石は参勤交代を含め江戸時代の統治および津和野藩の歴史が秘められており藩政時代の大切な文化財であることから当地に移転し保存するとともに歴史の参考に資するのである。
と書かれています。



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