文化5年 (1808) 土佐に入り4月27日赤岡浦の実測が行われ、この地を北緯33度33分と測量した


伊能忠敬経度観測記念碑 北緯33度33分


■伊能忠敬経度観測記念碑 北緯33度33分
伊能忠敬は享保元年 (1801) 幕府の命を受け実測による日本地図の制作に取り組んだ。文化5年 (1808) 土佐に入り4月27日赤岡浦の実測が行われ、この地を北緯33度33分と測量した。碑に刻まれています。
また説明に板には
文化5年 (1808) 、幕府天文方一行の測量により、北緯33度33分の位置に杭が打たれたが、後年帝国陸軍の測量で再確認され、御影石に改められた。
戦後の道路舗装工事の際、小松邸角にあった石は、放棄された。ちなみに高知江の口川下流域に、33度33分33秒の標識が川面に浮かんでいる。と書かれています。



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