66.7‰ YOKOKAWA-KARUIZAW EF63 LASTRAIL 1997.09.30


EF63とともに消えた碓氷峠

碓氷峠は JR信越本線の群馬県横川駅と長野県軽井沢駅間にあった路線です

碓氷峠は 1893年(明治26年)4月1日 官設鉄道 直江津線 高崎 直江津間の一部区間として開業以来 日本海側と太平洋側の大動脈として重要な区間でしたが 長野新幹線の開業とともに 1997年(平成9年)9月30日 104年の歴史に幕を閉じました

碓氷峠は 東京と京都間を結ぶ幹線区間となる予定でしたが 路線に勾配区間多いなど 運行面で難点あり 幹線計画が東海道線に変更されるまでは 日本の大動脈となる予定だった区間です

横川 軽井沢間は 線路距離が11.2キロメートル 水平距離が約9.2キロメートルの短い区間ですが 高低差である標高の差が553メートと日本国有鉄道,後のJRにおいても,距離に対する高低差が最もあった区間で 鉄道用語では 1000メートルに対して66.7メートルの高さがあることから66.7パーミルの高低差といいます


   

機関車の歴史

開業当時は アプト式蒸気機関車が導入されましたが 随道(トンネル)が26箇所あるため 蒸気機関車の煙が 機関士 乗客の健康を害していました

国鉄は ばい煙問題解決のため 全国で最初の電化区間を碓氷峠に敷設することを決定し 1912年(明治45年)5月11日からアプト式電気機関車の運行を開始しています

昭和30年代の高度成長期 信越本線は 乗客 貨物取扱量が増加していましたが 電気機関車の性能から 碓氷峠の通過が輸送力増大のネックになっていました

国鉄は 輸送力の増大と通過時間の短縮を図るため 碓氷峠の区間専用の粘着式補助機関車としてのEF63型電気機関車を1963年(昭和38年)に導入しました これにより輸送力の増加が図られましたが 開業以来 続いていたアプト式機関車の運用は 1963年(昭和38年)9月29日で幕を閉じています


   

補助機関車

碓氷峠は 66.7パーミルという国鉄の路線の中で最も勾配がある区間のため 平坦区間のように機関車だけで貨物列車を牽引したり 特急電車のように単独で走ることは 登坂力の不足や制動装置不具合による転落事故の危険があるため禁止されていました このため 碓氷峠を通過する全列車に 登坂力や制動力を補助する機関車を必ず連結することになっていました

このページで御紹介するEF63型電気機関車は 碓氷峠専用の補助機関車として昭和38年に運行を開始以来 全25両が製造されています

EF63型電気機関車は 常に標高の低い横川駅側に2両連結していました
列車の種類によっては EF63型電気機関車だけの動力で標高の高い軽井沢駅まで押し上げるもの 標高の低い横川駅まで EF63型電気機関車の制動力(ブレーキ)だけで下りるもの また L特急あさまのようにEF63型電気機関車と協調運転(EF63型電気機関車がL特急あさまの制御を行う運用形態)の2つがありました

EF63型電気機関車は 軽井沢に向かう際は 進行方向の後ろに連結されます 前方の安全確認はL特急あさまの運転士にまかせていましたが 運転操作は 前方の見えないEF63型電気機関車の機関士が行っていました これは 峠を知り尽くしたエキスパート集団の機関士が全責任を持って 乗客を守るということからです


 
   

思い出

■熊ノ平
雪の日 誰もいない静寂の空間 降りしきる雪に鳥たちの声も聞えない
レールにかすかな鼓動 トンネルに光るヘットライトの輝き
ゆっくりと ゆっくりと近づくプロワー音の響き きしむレールの音
なぜ この音がこころにやさしいのだろうか なぜ EF63の躍動がやすらぎをあたえてくれるのか
ほかの機関車や特急にはなにも感じない
しかし EF63だけが ふしぎとこころから離れない

■旧丸山信号所
数年前の静寂だったころの夏
朽ち果てたレンガの信号所 雄大にひろがる雲 だれもいない空間 しずかにときは流れていく
とおくのホイッスル音 光るライト 近づく炎熱のかぜ
なつかしい光景はこころのなかに生きつづけいてる

■き り
夕闇の軽井沢は霧につつまれていた
待避線にきょうの役目をおえたEF63がしずかに眠りについている
静寂の瞬間 躍動の期待
とおい光の中に あの姿が忘れられない

■パンタグラフ
霧積川のすすきが夕日に赤くそまっていく十数年前のあの日
7両の客車を押し上げるEF63のモーター音
スラッジ 架線とのスパークの青白い光の連続
窓明かりの笑顔とともに甘い光がゆっくりと遠ざかって行く

■あさま
上野発のあさまが碓氷峠の説明のアナウンスとともに横川駅に停車した
EF63重連の連結 かすかな振動
長野県まであと少しと感じる瞬間
子供のころ 青春のまんなか 子供たちとともに
いつもEF63があたたかく迎えていれていたのに・・・

■釜めし
二人で食べた暖かいぬくもり 二人で向かったしあわせの瞬間
ホームでの売り子さんの声 お茶の湯気 見送る売り子さんの姿
遠い情景が,ついきのうのように・・・

■あ め
初夏の夜 急行妙高が雨の横川駅に静かに停止した
深夜の横川駅 霧雨の構内 第2エンドの力強い姿
静寂の雨のなかにヘットライトに照らされた2本のレールがどこまでも輝いていた

■夕 日
さかもと・やがさきの夕日は旅の旅情
レンガに溶け込むエンブレム 夕闇に光るライト 金色に輝くサイドライン
夕日に照らされた66.7パーミルの勾配票にヘットライトの優しい光が輝いている・・・

■テールランプ
碓氷川の透明な流れ 降りつづく粉雪
静寂の空間にひとすじの靴あと
EF62の引く貨物列車 モーター音のEF63
下り3号トンネルの長い直線に テールランプの優しい光がゆっくりと小さくなっていく・・・

■しずく
ゆきをのせたあさまがゆっくりと坂をくだっていく
陽春のやさしい光 菜の花のやさしい花びら
春遠い北国の雪花がなんぼんものしずくとなって あさまのサイドラインに流れ落ちて行く

■くすりゆびのいと
赤い糸にひめた思い  66.7パーミルのみじかい瞬間
いつもやさしく迎えてくれたきみのこころ
汽笛の声 震動のゆりかご やさしい光
とおい秋風とともに 見えなくなっていく・・・

■で あ い
30年前の夏 母に手をひかれて連結風景を見たのがEF63との出会い
何十回と君の力を借りて往復した峠
出会いの感動 信頼の力 いまも君との出会いの瞬間が忘れられない

■おわかれ
1997年9月30日 午後11時45分
軽井沢駅から6重連のEF63が戻ることのない峠を下って行った
なんかいも  なんかいも  汽笛を鳴らしながら
永久の別れ 二度と戻らない時間 テールランプの赤い光
心のなかにきみの感動はいまも生きつづけている・・・


   

EF63に逢いたい

66.7パーミルの急峻な峠のシェルパEF63型直流電気機関車 通過する全列車の麓側に必ず重連で連結し 登り勾配は車両を押し上げ・下り勾配は車両の全重量に耐えながら峠を下るじつに頼しい機関車でした 製造車両数25両・L特急"あさま"との協調運転だけでも約12万往復 やさしいマスクと秘めた力はもう峠のレールに見ることはできません

往時の思い出を永遠に残すために 横川駅に隣接した旧横川運転区の跡地に鉄道村があります EF63 そして日本全国で活躍した機関車 客車たち みなさんが逢いに来てくれる日をまっています

静かに時を刻んだ碓氷峠の歴史がよみがえっています。二度と戻らない瞬間が !!

EF63の廃止当日のビデオ

■ EF63の廃止当日のビデオは EF63型電気機関車最終日 でご覧ください アナログ画像のリアルプレーヤーです 画質が悪いですが 見ていただければ幸いです EF63の最後の雄姿がご覧いただけると思います

廃止後のEF63型電気機関車

■ 碓氷峠鉄道文化村に保存されているEF63型電気機関車は EF63型電気機関車 でご覧ください

音楽の無いサイト

■ EF63型電気機関車との惜別をmusic by Sora Aonamiさんの音楽とともに感じていただきいページは EF63型電気機関車 サイレント版 でご覧ください


 
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STRAWBERRY-CLUBからのお知らせ!!
廃線の日は穏やかな秋晴れ ブロワー音 ホイッスル 列車が行きかうごとに終焉の時が迫ります 上野行きの最終L特急あさま 横川駅は惜別の声 時刻表ではあさまが最終ですがあと1本だけ軽井沢からの上り臨時電車が運行されています ご存知ですか そして軽井沢駅 最終の下りあさまが出発すると 峠のシェルパが横川に戻るとき 長いホイッスル テールの赤い光 ありがとう EF63 永遠に なんども手を振って
- 鉄道文化村にはEF63が動態保存されています -




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