長い参道では、昭和初期迄流鏑馬神事が行われていた


薬師寺郷八幡宮 栃木県下野市


■薬師寺郷八幡宮
由来略記
神紋 菊花 配神 息長帯姫命 (オキナガタラシヒメノミコト)
御祭神
主祭神 誉田別命 (ホンダワケノミコト) 配神 玉依姫命 (タマヨリヒメノミコト)
由緒沿革
人皇第56代清和天皇の御勅定により東北守護の大神として、京都石清水八幡宮の御分霊を下野仮夷国大内郷磯坂上朝日ヶ丘に、貞観十七己未歳 (西暦875年) 9月鎮座した。この時より関東北の総社となる。時に小島物部連邦詩朝臣大神主を拝し神主一名、禰宜五名と社家十一、下社家二十三、神戸五十五戸、神領五五〇町歩を賜る。
天喜四歳乙申八月、源頼義奥賊追討の勅を拝し出向の砌に当社に、参宮祈願をなし進発したが、源公の後続軍と賊軍が当社郷において合戦し、その兵災により御社殿・御神楽殿・御神門・御酒殿・御饌殿をはじめ神主、社家等も全く灰燼と帰した。
源頼義、義家公等奥賊安倍一族を平定し帰路奉賛、特に鉄弓三張、鏑矢六本を奉納したという。後伊奈備前守支配領内となるに及び、神社収領の手数を省く意味で五五〇町歩余の神領を上地し直接石高を以って奉献と決まり社の収入はここに大滅するに至った。その後領主の変わる毎に石高は減少し、神社運営は極度に窮迫した。当時薬師寺郷内拾余の寺院も閉鎖、院領も没収せられ二、三の寺院を残すのみの大変動があった。その後佐竹右京太夫の支配領となるに及び寛文二年壬寅歳御本社、御石間再建、翌歳御拝殿、御玉垣の修理奉納があって漸く旧御社殿形態の幾分かを備わるに至った。
長い参道では、昭和初期迄流鏑馬神事が行われていたが、今は桜並木として親しまれている。
御利益
出世開運、厄除招福、交通安全、合格祈願、商売繁盛、家内安全、病気平癒、社運隆昌 等
と書かれた由緒書があります。



薬師寺郷八幡宮 神楽殿


■薬師寺郷八幡宮 神楽殿
災難消除 開運招福



薬師寺郷八幡宮 参道


■薬師寺郷八幡宮 参道
鳥居から社殿までは石畳と灯籠が並ぶ


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