ご祭神は「水波能女命」 (みずはのめのみこと) で、雨水または灌漑などすべて水のことを掌り給う神様


小倉水神社


■小倉水神社
水神社は、小倉堰ができてからのことですが、洪水のたびに堰がこわされ改修に難儀していたため、時の城主阿部対馬守に願い出て、近津神社から現在の小倉山のふもとに祠を建て、祀ったのが水神社である。
当時の阿部対馬守は、慶安元年 (1648) から延宝8年 (1680) まで岩槻城主であったことから、慶安か延宝年間に現在地に移設されたもの思われます。
当時はツリダイ渕と称し、7代西方城主綱吉の時、西方城落城の際綱吉の奥方が城を逃れ、峰伝いに小倉川に身を投じて自害した所で、悲運な綱吉とともに悲話として伝えられているところです。
ご祭神は「水波能女命」 (みずはのめのみこと) で、雨水または灌漑などすべて水のことを掌り給う神様で、以前は6月15日に祭りが行われていました。
社殿造営については、すべて江戸時代の材木商の寄進だと言われています。
小倉水神社は水神様と呼ばれる村の社で、本城小倉山下の人たちが祭りを依頼され、祭りを進めています。
(4月15日 (直近の日曜日) 春の小祭) この祭りは、無事に田植えができ、豊作を願う祭りです。式のあと、祭りに集まった人たちに赤飯がふるまわれます。
(7月15日 (直近の日曜日) 無事に田植えが終了した事を祝い、豊作を願う祭りです。式のあと、祭りに集まった人たちに赤飯と珍しい鮎のごった煮 (鮎汁) がふるまわれます。鮎のごった煮の起こりは江戸時代といわれています。江戸時代にいかだで材木を江戸まで運んでいた人たちが、ガキッチョに鍋をつるし、鍋のふたをまな板がわりに味噌汁を作ります。これが鮎のごった煮で。
食べる時は、割りばし1本で食べる風習が現在でも残っています。
当時の食材を上手に利用して生活した昔の人の知恵が伺えて、とてもおもしろいものです。
と書かれた説明板があります。


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