■磐裂根裂神社 (いわさくねさくじんじゃ)
下野国一位・史跡 (県文化財指定)
主祭神 磐裂神
根裂神
配 神 天照大御神 (神明宮)
火産霊大神 (愛宕神社)
武甕槌大神 (鹿島神)
建御名方大神 (諏訪神社)
境内神社 大杉神社 (大山祇神)
若宮神社 (経津主神)
稲荷神社 (宇迦之御魂神)
天満宮 (菅原道真公)
八坂神社 (素塑洩盞鳴命)
白山神社 (伊弉諾・伊弉冉命)
恵方神社 (恵比寿・大黒天)
由緒
天正13年 (741) 日光開山の勝道上人は、日光男体山頂をきわめたのは、「ひとえに、天地の神明をまつりたるは、磐裂神等の神勅によるものなり、汝等および子孫たるものは、常に磐裂、根裂神を尊崇して、必ず神恩を喪失すべからず」とさとされた当神社の神様です。 当社は、第10代崇神天皇の皇子が東国平定の際、当地に住み、長寿し、当社に「亀塚」古墳があり、この地に現在の社殿が元亀元年9月29日に創建され、正一位を授る。 亀塚古墳は、現在、栃木県指定文化財となっている。 なお当地名は、昔は塚が八つあり、「八ノ塚」として、いつ安塚になった。 その後、この里が里としての姿を整えようとする頃、さるかたの病の平癒と五穀豊穣を祈願し、この地を中心にとして隆盛を極め、現在ゆかしきいわれをとどめる当神社と共に深く里人の心を刻みつけ、永く人々に民族文化伝統を守ってきました。 と書かれた由緒書があります。
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