四国八十八箇所霊場第三十一番札所 竹林寺 五重塔 塔とはインドの古い言葉で「スツーパ」といい、それが中国で音訳されて「卒塔婆」、さらに略されて「塔」と呼び慣わすによになったもので、その起源はお釈迦様のご霊骨 (仏舎利) をお祀りする墳墓にはじまります。 最初その形は土饅頭型でしてが、やがて、仏教がインドから中国、そして日本へと東漸伝播するに伴いその姿は各地の風土や人々の精神に合わせ移り変り、今日のわが国では三重・五重の層をなす塔婆となったものです。 今、天空にそびえ立つ塔を仰ぎ見れば、その姿は仏教東漸の長き歳月と伝来の幾多り風土の中、数限りない人々の仏を慕い仏に祈る心がひとつの形に清らかに昇華されたものと映りましょう。 当山には古くに三重塔がありましたが明治<32年の台風により倒壊、璽来、塔再建を悲願としてきましたが、昭和55年12月も全国より多くの葉般心経奉納の浄業を得、五重塔として復興することができました。 鎌倉時代初期洋式、総高31.20m、間口4.80m、総檜造り,使用木材1.320石、使用瓦2.800枚、宮大工延べ人数5.400人、建築工事はその設計施工全般を香川県詫間町 富士建築株式会社 (真壁利光社長) が請負、京都宇治の工匠 岩上政雄氏がその施工にあたりました。 塔内にはインド。ブッダガヤより勧請されました仏舎利を納め、また、初層内陣には対日如来を奉安したてます。と書かれた説明文があります。 |