織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と三代の天下取りの間を生き抜いて出世したただ一人の武将といえる


山内一豊の妻 高知城


■山内一豊 像 高知城
土佐藩初代藩主山内一豊は、天文14年 (1545) 生まれ。13歳の時尾張国 (愛知県) 岩倉助手・織田伊勢守信安に仕えていた父が戦死し、母や幼い兄弟とともに流浪した。天正元年 (1573) 豊臣秀吉に従って織田信長の朝倉・浅井攻めに出陣して武功を上げた。以後も秀吉の麾下として各地を戦いに参加し、次第に頭角をあらわして近江国 (滋賀県) 長浜2万石の城主から、天正18年 (1590) 小田原攻めののち遠州 (静岡県) 掛川5万石を領した。
慶長5年 (1600) の関ヶ原の戦いの功績により、土佐一国24万石を与えられ翌6年入国、高知城の築城と並行して城下町を整備し、現在の高知市の基礎を形作った。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と三代の天下取りの間を生き抜いて出世したただ一人の武将といえる。
慶長10年 (1605) 9月20日没。61歳。
この銅像は大正2年 (1913) に建設された銅像の原形をもとにして平成8年 (1996) 9月20日に再建除幕された。
と書かれた説明板があります。



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