■結成から百五十年 土佐勤王党土佐 趣旨 混沌した先の見えない現代において求められる人物像は、利己のためではなく、日本の将来のたるに、高い志をもって行動できる、いわば「現代の志士」ではないでしょうか。大河ドラマ「龍馬伝」では、新しい時代のために命を賭して奔走した武市半平太を盟主とする「土佐勤王党」の若き志士たちにもスポットが当てられ、その生き様には、多くの人々が共感しました。 彼らの熱い想い思いの結集である「土佐勤王党」は1861年の結成から150年が経ちました。この度、「志国高知 龍馬あるさと博」の開催に合わせ。坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎像をここに集結させ、高い志のもとに、時代を換えるために行動した土佐の志士たちを顕彰するものです。 土佐勤王党 土佐勤王党が結成されたのは文久元年 (1861) 8月てあった。黒船の来航以来外国の圧力は激しく、尊皇攘夷の動きも激化していた。武市半平太はこの時勢に応ずるには、土佐藩を「一藩勤王」にまとめ、薩長と連携協力して朝廷の権威を確立し、幕府を圧倒する政治運動の展開以外ないと同志を結集を決意した。盟文は大石弥太郎が作成し、半平太自ら盟主となり旧知の同志に呼びかけ192人が血盟した。多くは郷土層を中心とする下級武士や庄屋出身であった。天保期の庄屋同盟など横のつながりや、尊王思想の浸透が背景にあった。 ■武市半平太 (1829−1865) 上士と下士の中間て゜ある白札格の家に生まれる。 号は瑞山。 文武両道に秀でて、文)
久元年 (1861) 8月土佐勤王党を組織し、盟主となった。尊皇攘夷を主張し、対立する吉田東洋を暗殺した後、一時藩政を牛耳る。 8月18日に政変後、勤王党の弾圧が始まり、投獄後切腹を命じられた。享年37. ■坂本龍馬 (1835−1867) 高知城に近い本丁筋 (現高知市上町一丁目) で郷士の次男として生まれた。 19歳の時、江戸で黒船騒動を目の当りにしたことが転機となり、28歳で脱藩した。 倒幕を目指し、薩長同盟を成功させ、平和倒幕を盛り込んだ船中八策を起草し、大政奉還へと導くなど土佐藩を歴史の表舞台にたたせ近代国家実現を目指した。 大政奉還の一か月後、京都で暗殺された。享年33。 ■中岡慎太郎 (1838−1867) 安芸郡北川郷大庄屋中岡傳次の長男として北川郷柏木で誕生。20歳の時に病気の父に代わり、大庄屋見習いとして村政に携わり、飢餓にあえぐ村民救済に努力する。文久元年 (1862) 土佐勤王党に加わるが、文久3年9月に脱藩。 その後、薩長連合、三条実美と岩倉具視の和睦、陸援隊結成など、近代国家建設に奔走する。 慶応3年11月15日、京都近江屋にて坂本龍馬と面談中、刺客と襲われ重傷を負い、二日後に死去。享年30。 と書かれた説明板があります。
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