坂本龍馬の妻お龍と、海援隊士菅野覚兵衛の妻君枝 (起美) の姉妹の像


お龍、君枝の銅像の言葉 像


■お龍、君枝の銅像の言葉
坂本龍馬の妻お龍と、海援隊士菅野覚兵衛の妻君枝 (起美) の姉妹の像が建った由緒について記す・お龍は京都の医師檜崎将作の長女であり、菅野覚兵衛 (千屋寅之助) は、現芸西村和食の庄屋の出でねその妻君枝は耕作の三女である。すなわちお龍の実妹であった。
お龍は龍馬を失ったあと、明治元年から一年余り、妹の嫁ぎ先千屋家に身を寄せた。この琴ケ浜にお龍と君枝の像を建てて追善し、併せて義兄弟の龍馬と学兵衛の二人を記念したいという、芸西村の人たちの温かい気持が実ってこの姉妹の像となった。
お龍は伏見寺田屋で龍馬の危難を救い、亀山社中、海援隊と奔走する龍馬を助け、時代に先がけた新しい女性として夫のために献身した。龍馬はお龍の妹君枝を気づかい、菅野覚兵衛とめあわせることを望んでいた。龍馬の没後の慶応4年、覚兵衛と君枝は長崎で結婚した。16歳の花嫁であった。
お龍の墓は横須賀市の真楽寺に、君枝の墓は東京都港区南麻布の光琳寺にある。松籟と潮音の響く景勝の琴ケ浜に、数奇な運命の姉妹の魂が相寄って立つ光景は、多くの人々に深い感銘を与えるであろう。
平成5年3月吉日 山田一彦 と書かれた説明板があれます。



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