昭和49年内閣総理大臣に指名される


三木武夫像


■三木武夫像
君は明治40年ここ、土成町に生まれる。幼くして類悟反骨精神に富み、弱冠22歳世界各国を周遊し更に米国南加大学に学び国際感覚を養う。帰国後明治大学を卒業、昭和12年第二十回衆議院選挙に学窓より立候補、全国最年少で当選をみる。有志と共に「日米戦うべからず」の一大国民運動ほ興し、昭和17年所謂翼賛選挙に於いては非推薦のもと郷土の同志と共に官憲の弾圧に抗し栄冠を勝ちこの間に森睦子と結婚。引き続き戦後最初の総選挙に当選。中央政界に於いて君の存在は注目されるに至る。協同主義の理想を掲げて国民協同党を結成し委員長となる。片山内閣に逓信大臣として初入閣、爾来党にあっては幹事長などの要職を歴任し、閣内にあっては副総理その他の枢職臨む。昭和49年内閣総理大臣に指名される。首相として力を尽くした政策は政治倫理の確立と経済民主化の実現にあった。連続当選19回「議会の子」と呼ばれた50年に及ぶ議会生活と清廉な身辺は凡そ他に類をみない。衆議院は君を遇するに名誉議員の敬稲を以てし、院内に尾崎号堂翁とならんその胸像を贈る。
昭和62年国民追慕の内に没し郷里の蛍域に眠る。
平成5年3月吉日
三木武夫先生銅像建設委員会
三木内閣官房長 井出一太郎 撰文
三木内閣通商産業大臣 河本〇〇謹書
像脇の銘文に刻まれています。



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