日本人として国内で初めて新種に学名をつけました


牧野富太郎博士像 牧野植物園


■牧野富太郎博士像 牧野植物園
牧野富太郎博士は、1862年4月24日、現在の高知県高岡郡佐川町に生まれました。高知の豊かな自然に育まれ、幼少から植物に興味を持ち、独学で植物の知識を身につけていきました。1884年、22歳で上京し、東京大学理学部植物学教室へ出入りを許され、植物分類学の研究に打ち込むようになります。1889年には、自ら創刊に携わった「植物学雑誌」に、新種「ヤマトザクラ」を発表。日本人として国内で初めて新種に学名をつけました。蔵書は約4万5千冊を数えます。新種や新品種など約1500種類以上の植物を命名し、日本植物分類学の基礎を築いた一人として知られています。1940年には、現在でも研究者や愛好家の必携の書である「牧野日本植物図鑑」を刊行。全国からの要望に応じて各地を巡り、植物を知ることの大切さを一般に広く伝え、植物知識の普及に尽力しました。1953年東京都名誉都民。1957年1月18日永眠。没後、文化勲章受章。と牧野植物園で配布されているパンフレットに書かれています。



♪ 。 . : * ・ ゚ ゚ ・ * : .        . : * ・ ゚ ゚ ・ * : . 。 ♪
1998-2019 itigoNet & StrawberryClub, internet cection Since 1998.12.20

当ホームページ内の画像およびイラストなど全ての内容につきまして無断転載・転用を固くお断りいたします。