おりから弥生の桜が七分咲はの、坂本家所領の小高い水谷山を黙然と登る龍馬の背にはひょうたんがあった
和霊神社 高知市
■和霊神社 高知市
文久2年 (1862) 3月24日龍馬はこの地より運命の旅立ちをした。脱藩という、罪が係累にまで及ぶ恐れのある大罪を犯してまで龍馬を駆り立てたものは何だったのか。
乙女姉さんから与えられたと伝えられる銘刀、肥前忠廣を腰に、たとえ野末でのたれ死のうとも信念を貫き通す覚悟で、その祖霊の地に立った。
ただでさえ江戸時代の旅立ちは死の覚悟が必要だった。ましてや時代に回天の大技を仕掛けようという龍馬にとって、自分の生き死になどは運命の本流に放りなげ平気だった。
おりから弥生の桜が七分咲はの、坂本家所領の小高い水谷山を黙然と登る龍馬の背にはひょうたんがあった。
丘の上の祠には坂本家の先祖である明智左馬助の霊と、伊予宇和島城下に本社のある、われい明神を合わせ祀ってある。
祠の中で祖霊と心ゆくまで語り、酒を呑んだ龍馬はまさにこの地で飛龍となった。 神田龍馬会 と書かれた説明板があります。
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