熊本地震、または、豪雨によって発生した崩落によってハート型の崩落面


熊本地震または豪雨のハート形の崩落


■熊本地震または豪雨によるハート形の崩落面
藩政時代に肥後と豊後鶴崎を結ぶ重要な街道として利用された豊後街道
豊臣秀吉が天下統一し、加藤清正が肥後に入国すると、熊本から鶴崎まで豊後街道を使い、鶴崎からは船で大阪を往復しました。
江戸時代になり、参勤交代制度が確立すると、細川藩も、江戸往復にこの街道を利用しました。
沿道沿いには、熊本城の西大手門(新町一丁目)を起点として一里ごとに目印となる里数木が植えられ、休息するところには御茶屋が設けられていました。
この道を谷内に下ると、今でも往時の石畳や御茶屋跡が残っています。と説明板に書かれています。
この街道復元の石畳が見られる駐車場からは、熊本地震、または、豪雨によって発生した崩落によるハート型の崩落面を見る事ができます。


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