夏は水面を渡る涼風が心地よく、秋口からは水鳥が飛来し、水面に見え隠れする姿は、水辺の風物詩となっています。


六嘉湧水群・浮島 平成の名水百選



■「浮島熊野坐(ます)神社」 説明板の記載 要約
御祭神 伊弉諾尊 (イザナギノミコト) 伊弉冉尊 (イザナミノミコト) (日本国土創成の神)
由来
一条天皇の長保3年(1001、平安末期、菅原道長の頃)、当地の領主、井正三郎直久(三代)の創建といわれている。
直久は常々熊野大神を尊信し邸内に祠ほ建立し住民の生活安定を願っていた。かねてから清浄な池のほとりに神殿移築つわ考えて適地を探していたが、ある夜大神のお告げで北方の山麓を掘ったところ清泉が二か所湧出したので更に開削を進め約二.五町余(2.5ヘクタール)の池が完成した。直久 領民は歓喜し社殿をこの地に移すとともに篤く尊崇と直久自ら初代神主になった。
「肥後国誌によれば「長保年中勧請ト云フ、社致島ノ如ク四辺ニ水アリ至テ清潔ナリ(中略)洪水溢レテ近境ヲ浸セトモ水此社地ヲ不浸故に里欲呼テ浮島ナリ」と記サレ
往時氏子は井寺、北甘木(敷島町)、櫛島、東無田、小池(敷島町)東、西沼山津、中、西無田(熊本市)の九ケ村に及び井王益城郡の総社であった。
以後、井王家は代々神官を務めたが初期の所領は文明3年(1470、室町末期の応仁の乱頃)に没収され神域だけ僅か十町歩(10ヘクタール)となったが現存していた。
細川氏入国後は歴代藩主の崇敬社として幕末まで毎年供料が贈られていた。現在は、井寺区百五十余戸の氏神として尊敬され又県内外からの参詣者も呈しているだけではなく稲作の灌漑用水としても永年に亘って地域の農業生産を支えている貴重な存在である。
神社の北方には、三代直久を祀る水神「井王三郎神社」イヲノサムライがあれ、通称「いぼんさぶろうさん」と呼び「いぼとり」の参詣者も数多くある。
社家井王家は元々は京都在住であったが、平安の昔、初代直行の時、この地に下行したといわれ、当主は第41代目、井尾三郎直毘氏である。
平成4年(1992年)4月吉日、と書かれています。


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