■佐賀市 八坂神社 由緒 御祭神 素戔嗚尊 スサノオノミコト 御祭神の由緒 京都八坂神社の創紀は、社伝では斉明天皇2年「西暦656年」と伝えています。 八坂神社は、ながらく「祇園社」と称しましたが、神仏分離にともない「八坂神社」と改称されました。 平安時代のはじめ、都に疾病が流行して、多くの人々が死に絶えました。この災厄の発生を政治的に失脚して処刑された人の怨みによる祟りであろうと、御霊をまつったのですが、怨みは治まりません、そこで、素戔嗚尊のような偉大な神格の神に祈ったのです。 厄災除去の疾神として全国に厚い信仰があります。その御神威は、印度、中国、朝鮮半島におよび、あらゆる吉凶方位をつかさどる暦神として古くから登場しています。 日本神話では天照大神の弟神として知られる、素戔嗚尊「スサノオノミコト」は、八岐大蛇(ヤマタノオロチ=あらゆる災厄)を退治し櫛稲田姫命(クシイナヒメノミコト)を救い、地上に幸をもたらした偉大な神様です。 八坂神社の由緒 佐賀郡川上實相院内「泰盛院様御代、御城為鬼門除、勧請遊被・・・・・」と寺社差出にあります。初代藩士鍋島勝茂(泰盛院様1580〜1657)公により、御城の鬼門除に、国家泰平を祈念され勧請されております。また、成就院朝厳上人に宮司を仰せつけられ、境内には(牛之島天満宮)(祇園社)(寺)がありました。 成就院(じょうじゅいん)橋 神社の南端に架かっている橋です。承応3年(1654)の(佐賀城廻之絵図)ほみると、この位置に橋が架かっています。 昔はこの橋の北西に橋名となった「成就院」がありました。ここ蓮地町(現、柳町)のこの、神社を旧来の氏子は、(じょうじん)さんと、よびならしています。玉垣に沿うた路地(あやぁ)も同じ呼び名である。維新前、荒神めくら坊の盲僧屋敷があって、一かどの修業場でしたが、衰減、祭神の社と祠が神仏混淆(こんこう)落し子となりました。 と境内にクスノキの大木のある八坂神社を説明しています。 クスの大木は、推定樹齢600年と説明板に書かれています。
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