柳川の人々は親しみを込めて「御花」と呼ぶようになりました


柳川藩主立花邸「御花園」


■ 柳川藩主立花邸「御花園」
柳川藩代5代藩主立花貞俶の疲れを癒し、家族と和やかな時を過ごすための場所として、別邸を設けました。当時この辺りは「御花畑」といわれていたことから、柳川の人々は親しみを込めて「御花」と呼ぶようになりました。
金箔押桃形兜 (きんぱくおしももかりかぶと)
桃山時代〜江戸時代初期
桃形歌舞しとは、頭部が桃の実をかたどっていることからつけられた名称で、戦国時代には多く用いられた形式の兜である。立花家には239頭以上もの同様の桃形兜が伝わっており、中には文禄・慶長の役に使用されたと伝えられるものもある。
と説明板に書かれています。


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