西南戦争では官軍が田原坂本道の丘の右翼及び左翼へこの川沿いの旧道を通り、本眼鏡橋を拠点に出撃して行ったといいます。


西南の役では17日間にわたる戦闘が繰り広げられた激戦地 田原坂


■豊岡の眼鏡橋
植木町指定文化財 植木町大字豊岡 平成5年12月3日指定
この石造眼鏡橋は両脚の幅11.2メートル、高さ4.4メートルある。輪石の厚みは45センチで、輪石と輪石を楔石で継いだ単一アーチ橋である。最後の行に、享和壬戌2年10月吉日の陰刻みがある。年号ははっきりしている石造眼鏡橋では、熊本県内で最古の橋といわれている。
享和2年は1802年であるから、江戸時代後期にあたる。
この橋を渡り、川沿いに沿って旧道があり、国道208号線へ出た所に 「田原坂攻撃官軍第一陣地址」の石標が建っている。官軍は田原坂本道の丘の右翼及び左翼へこの川沿いの旧道を通り、本眼鏡橋を拠点に出撃して行った。
川の名は滑川といわれ、この眼鏡橋は先の有志の篤志により架橋されたと推定される。
上流側の楔石に鈴麦村田原村庄屋彦次郎、正院会所詰弥兵衛、右同総代寿三郎、右同甚兵衛、右同良助
下流側の楔石に山本郡口川、内田手永月田村、石工理左衛門、右同矜右衛門、右同次平、右同惣八、正院手永,円台寺村、右同太平、南関手永関東村、大工嘉右衛門とある。
平成15年3月26日 植木町教育委員会 と説明されています。


♪ 。 . : * ・ ゚ ゚ ・ * : .        . : * ・ ゚ ゚ ・ * : . 。 ♪
1998-2015 itigoNet & StrawberryClub, internet cection Since 1998.12.20

当ホームページ内の画像およびイラストなど全ての内容につきまして無断転載・転用を固くお断りいたします。