天下にその名をうたわれた名石工橋本勘五郎、弥熊父子によって明治一五年(1882)10月から明治一九年(1886)十月まで満4年間を費して架設されたものです。


下鶴眼鏡橋 肥後の石橋 名石工橋本勘五郎、弥熊父子 造


■下鶴眼鏡橋
この下鶴眼鏡橋は東京の二重橋や日本橋を始め矢部の通潤橋や、わが御船橋など数多くの眼鏡橋を架設して天下にその名をうたわれた名石工橋本勘五郎、弥熊父子によって明治一五年(1882)10月から明治一九年(1886)十月まで満4年間を費して架設されたものです。橋の長さ一三間(約二三米三六糎)総工費二千五百三十八円三十一銭厘を要しました。
以来、春風秋雨九十有余年の間、熊本から矢部宮崎県に通する主要道路の交通橋として大いに強度産業振興に役立って来ましたが時代の変転は交通量の激増と交通機関激変により、これまで堅固を誇ったこの石橋もついに耐えきれなくなりましたので、ここに近代橋が架設されました。
今後は、先人の事績を敬迎し、文化財として保存されることになりました。美しい石組みの見事さに注意してください。 と書かれています。
平成14年3月 御船町 御船町観光協会 と書かれています。


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