有明海から緑川を通り熊本に入る上での玄関口として、この地は海上航路の要衝であったことが偲ばれます。


住吉灯台


■住吉灯台 説明板 
住吉灯台は、肥後細川藩第六藩主細川宣紀が江戸参勤の為山口県周防灘を航海中に暴風雨に逢い、住吉神社を逢拝して難を免れたお礼に、享保九年(1724年)この地に高灯籠を寄進したのが始まりといわれております。この高灯籠は、高さ約10メートルの石積みの上に引きのの強い和紙で囲いをして、その中で胡麻油を燃やしたもので、その胡麻油は藩より支給されていました。長い年月毎晩御神灯して点灯され航海の目印となっておりましたが、廃藩によって胡麻油の支給がなくなり火は消え、明治の初期の石積みは破損したため取り壊しとなりました。昭和8年にコンクリート造りの高さが地上22.1メートル(地上から灯火中心まで20.0メートル)の灯台が建設され、その後昭和60年12月に現在の灯台に改築されました。高さは17.0メートル(地上から灯心まで16.6メートル)で平均水面から39.7メートルに灯火があります。
灯台がある小高い山頂の住吉神社は、肥後の国試であった菊池則隆が海上安全の祈願所として、摂津住吉宮に詣でて大神の分霊を奉り建立しれました。有明海から緑川を通り熊本に入る上での玄関口として、この地は海上航路の要衝であったことが偲ばれます。宇土市商工観光課と書かれた由来書の説明板が灯台の直下に設置されています。


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