「大連航路上屋」や「大連航路待合室」と呼ばれるようになっていきました


旧大連航路上屋


■旧大連航路上屋
門司港レトロの西海岸地区のこの地に建つ旧大連航路上屋は、昭和4 (1929) 年に「門司税関1号上屋」として建てられ、2階建ての旅客ターミナル部と平屋建ての倉庫部から構成されています。
この上屋は、当時の大蔵省営繕管財局工務部長だった大熊喜邦氏によって設計されました。大熊氏は、国会議事堂や横浜税関などの設計も手掛けた、著名な官庁建築家として知られる人物です。
当時は、大連航路や欧州航路など、約40航路 (約180便/月) が就航する横浜、神戸と並ぶ国際旅客ターミナルとして、多くの旅客や送迎者で賑わいました。そして、数ある航路の中でも大連航路の便数が一番多かったことから、人々の間で「大連航路上屋」や「大連航路待合室」と呼ばれるようになっていきました。
しかし、昭和25 (1950) 年にアメリカ軍により接収されたことで、上屋は国際旅客ターミナルとしての役割を終えることになりました。
その後、昭和47 (1972) 年に日本へ返還された後は、門司港税関の仮庁舎や公共上屋として平成20 (2008) まで利用されていました。
この「旧大連航路上屋」は、当時流行していたアール・デコ調を取り入れた鉄筋コンクリート造りの建物で、往年の国際貿易港・門司の繁栄を象徴する近代遺産であることから、上屋を保存・活用するため、平成25 (2013) 年に休憩・展望施設として国土交通省の港湾環境整備事業で整備しました。
平成25年7月 北九州市港湾空港局
と書かれた説明板があります。


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