旧本山炭鉱斜坑坑口の海岸側にも横に地下に傾斜する遺構があります


山陽小野田市指定文化財 旧本山炭鉱斜坑坑口


■ 山陽小野田市指定文化財 旧本山炭鉱斜坑坑口
本山地区の石炭の発見は江戸時代後期嘉永年間 (1848〜1852) に遡り、須恵村の藤島清兵衛が後の本山炭鉱沖四百メートル付近に石炭の露頭のあることを知り、小船を出して毎年夏の干潮時を利用して石炭の採取をしたという故事による。
明治20年宇部の渡辺祐策は本山炭鉱組合を設立以後、一の山炭鉱、本山炭鉱、大日本炭鉱、宇部砿業、宇部興産に引き継がれるが、地質が悪くガスをともなう出水などの事故により、97名の尊い命が失われた。
この坑口は、大正6年大日本炭鉱が主要運搬坑道として設け昭和16年まで宇部興産が完成させ、昭和38年3月に坑口を閉鎖するまで使用された。
坑道は沖合約3キロメートル。最深部約二百メートル、総延長19キロメートルに及んでいる。形状は鉄筋コンクリ―トづくりで側面は石組、特徴は坑口の忍返です。
当時の工業の基礎となった石炭産業を伝える建造物として貴重なもので昔の面影をしのぶことができます。
平成10年3月23日
山陽小野田市教育委員会と書かれた説明板があります。



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