THE IMPERIAL PALACE TOKYO JAPAN |
■ 二重橋
二重橋 (にじゅうばし)は 皇居正門から宮殿へ向かう途上の二重橋濠に架かる鉄橋です 本来の名称は 正門鉄橋 (せいもんてつばし) 皇居の入口には皇居前広場側から見て 石で造られた手前の 「正門石橋」 と 鉄で作られた奥の 「正門鉄橋」 という2つの橋があります 「二重橋」 とは本来 奥の 正門鉄橋 の呼称です
奥にあった 正門鉄橋は 江戸城の西丸下乗橋のあった位置で 木造橋時代に橋桁が上下二段に架けられていました そのことから 「二重橋」 と呼ばれるようになったといいます 現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替えられたもので 橋桁は二重ではありません 手前の石橋は 江戸城の西丸大手橋があった位置にあたり 現在の石橋は明治20年(1887年)に建造されています 写真のように 「正門石橋」 が二重アーチ構造であることから 正門石橋を二重橋であると誤認することが多いようです
皇居正門 (江戸城の西の丸大手門) は普段は閉じられています 天皇の即位大礼 天皇・皇后・皇太后の大葬儀など特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われていません また 新年や天皇誕生日の皇居一般参賀時には正門が開放され 渡ることができます
■ 桜田門
桜田門は 桜田堀と凱旋堀の間にある門です 江戸城には内桜田門と外桜田門の2つの門ありますが 前者は桔梗門とも呼ばれ 単に 「桜田門」 という場合には一般的に外桜田門を桜田門といいます 外桜田門は 昭和36年(19611年) 「旧江戸城外桜田門」 として国の重要文化財 (建造物) に指定されています
桜田門は 寛永13年(1636年)にそれまでの柵戸仕立の門を現在のような桝形門に改築してます 以後 桜田門とよぶようになったといいます 外側の高麗門 (こうらいもん) と内側の渡櫓門 (わたりやぐらもん) の二重構造 間に桝形とよばれる四角形の広場があります 広場は門から打って出る兵の待機場所 敵に攻められた時は ここに敵兵を引き入れ 周囲から弓・鉄砲などで攻撃したといいます その後 大正12年(19231年)の関東大震災で一部が破損したため 鋼鉄土蔵造りに改修されました
安政7年(18601年) この桜田門の近くで水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件 (桜田門外の変) が起きています また 桜田門の正面 (豊後杵築藩松平家屋敷跡) には 現在 警視庁の庁舎がありますが この立地のため 旧庁舎のころから 警視庁庁舎は 「桜田門」 と通称されています ■桜田門 ■桜田門脇の堀1 ■桜田門脇の堀2
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皇居は江戸時代末期まで徳川将軍家が居城としていた江戸城跡 第二次世界大戦後に宮城の名称が廃止された江戸城跡一帯を指して皇居と呼びます 英名は「The Imperial Palace」 天皇の住居の「御所」 各種公的行事や政務の場である「宮殿」 宮内庁庁舎などがあります | ||
The Imperial Palace |
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