■高橋稲荷神社 日本稲荷五社の一つに数えられる高橋稲荷神社は、明応5年(西暦1496年)隈本(熊本)城主鹿子木親員氏が上代に出城を築いた折、その上代城の守り神として、京都の伏見稲荷神社の御分霊を勧請して祀ったのが高橋稲荷神社の始まりである。 年間の参拝者は150万人を数え、特に春を呼ぶ初午大祭には20万人の善男善女が参拝され、朝から夜まで広い境内は人並みで埋まる。 初午当日の呼び物は、7回に分けて行われる「福餅まき」で、石垣上の祈願殿より下の広場を埋める群衆に紅白の餅がまかれ、縁起のよい福餅を拾わんものと一生懸命で祭を盛り上げる。 熊本地震による境内の被害状況 前震、本震により高橋稲荷神社は甚大な被害が発生したといいます。門前の説明板は、奥院への参道斜面の土砂崩れね社務所半壊、本殿周辺の土砂埋め、第一鳥居・第二鳥居の傾き・ひび割れ、灯篭・玉垣の倒壊などの説明板があります。 このような被害の神社の境内は閑散としており、参拝した時間には、他の参拝者はおらず、50台ほど駐車できる門前の広場には車の姿もありませんでした。
|