旧湯川家屋敷では、藍場川沿いに民家として典型的な水の利用法を見ることができます


旧湯川屋敷 床の間


■旧湯川屋敷 ハトバの風景
ハトバは簡単にいえば、「川沿いに階段を作って、水に近づけるようにしたところ」です。この湯川家屋敷のなかにも、風呂場と台所の2か所に作られています。道路沿いにあったり、屋敷のなかにあったり、屋根があったりなかったりとさまざまですが、藍場川沿いには、今もたくさん残っています。
川の水を庭に引き込み池を作り、その水は建物の下をくぐり台所炉のハトバに流れています。ここでは野菜や茶わんを洗い、その後、水は再び藍場川に還っていきます。
■藍場川
藍場川は、萩市内を流れる人工の川です。享保2年 (1717) に江向まで、元文4年 (1739) に新堀川までの用水路として開削されましたが、その後享元元年 (1744) に川舟が通航できるように拡張、整備されました。この川の水は、田畑への農業用水や、川舟を使った荷物 (たきぎや米) の運搬、家庭用水や防火用水に使われました。
また、江戸時代には「大溝 (おおみぞ) と呼ばれていたようですが、下流の江向に明和年間 (1764−71) に藍場 (藍玉座・藍色の染料となる藍玉を製造したところ) ができたために、明治以降いつしか「藍場川」と呼ばれるようになったといいます。
■史跡旧湯川家屋敷
旧湯川家屋敷は、藍場川の最上流部に位置しています。川沿いには長屋門があり屋敷の中へは、橋を渡って入ります。
主屋には、玄関、屋敷と茶室などがあります。茶室回りの意匠は特に優れています。
また、こま屋敷では、藍場川の水を屋敷内に引き入れて流水式の池水庭園をつくり、池を出た水は家の中に作られた「ハトバ」で家庭用水として使われた後、再び藍場川に戻っていきます。
このように旧湯川家屋敷では、藍場川沿いに民家として典型的な水の利用法を見ることができ、しかもその技術が優秀です。藍場川の歴史を語る風景として非常に価値が高いといえます。
湯川家の建物は、正確にはいつ建てられたのかわかっていませんが、湯川家の古文書の中に、明治3年 (1870) に建物を改築した記録が残っていますので、当時の建物は明治以降に建てられたものと考えられます。
湯川家は禄高23石余の武士で、遅くとも明治の初めにはこの建物に居住していたものと思われます。と配布されているパンフレットに書かれています。

と書かれた説明板があります。



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