■山縣有朋像 東行庵吉田松陰の松下村塾で高杉晋作と机を並べた山縣有朋 (狂介) は、高杉が病気のため身を退いたあとの奇兵隊を引き継ぎね軍監として蝦夷戦、さらに戊辰戦争を戦い、元勲として明治維新史にその勇名を刻みました。日本陸軍の総師、また第三・第九代内閣総理大臣を務めた軍人政治家山縣有朋の一面は、歌を詠み庭園を愛した文人でもありました。維新後、生活 基盤を失った盟友高杉の愛人おのう (梅処尼) に、山縣は自分が住んでいた無隣庵とその周辺の広大な里山をそっくり譲りました。これが東行庵のはじまりです。昭和8年 (1933) 山縣有朋の遺徳を称える銅像が東行庵境内に建てられました。これは太平洋戦争の金属供出で消していましたが、平成27年 (2015) 春、新しく青年志士山縣狂介の凛々しい姿として復元が成りました。と書かれた説明板があります。