官営長崎造船局 (現三菱重工長崎造船所) の初代局長に就任し、日本の造船業の近代化に貢献しました


渡辺蒿蔵 (天野清三郎) 旧居


■渡辺蒿蔵 (天野清三郎) 旧居
天保14年 (1843) 萩藩主渡辺家に生まれ、一時天野家の養子となりますが、のちに渡辺家に復縁しました。
15歳の安政4年 (1857) 松下村塾に入り、吉田松陰に学んだ後、久坂玄瑞らの尊攘運動に加わり、西洋兵学の修得に励みました。
慶応3年 (1867) 長崎に派遣され、まもなく藩命により英米に留学し造船技術を習得しました。帰国後は、工部省に入り、官営長崎造船局 (現三菱重工長崎造船所) の初代局長に就任し、日本の造船業の近代化に貢献しました。その後下屋敷も、49歳で逓信省を退職。帰郷後は松下村塾の保存事業に地元の代表として尽くしました。
■景観重要建造物 渡辺蒿蔵旧宅
渡辺蒿蔵の居宅として明治中期に建てられたものです。
回向八町筋と橋本川土手の間の広大な敷地に、江戸期の建築とされる長屋門、明治中期に建築された主屋と土蔵、その後に増築された茶室、露地風の日本庭園などがあります。
建築当時の姿がそのまま残り、建物内はとても広く、大型の屋敷形式の建物として貴重な歴史的景観を形成しています。
と書かれた説明板があります。



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