■毛利輝元像毛利輝元は、天文22年 (1553) 毛利隆元の長男として安芸国吉田郡山城 (現在、広島県安芸高田市) に生まれた。戦国時代中国地方の覇者となった毛利元就の孫にあたる。永禄6年 (1563) 父隆元の死去にともない家督を継ぎ、祖父元就の手によって養育された。織田信長や豊臣秀吉と覇を競い、中国地方8か国112万石を領有する大大名に成長し、天正17年 (1589) 広島に居城を築いた。豊臣政権下では五大老の一人となり権勢を誇ったが、慶長5年 (1600) 関ヶ原の戦いで敗れ、周防・長門2か国36万9千石に削封された。慶長9年 (1604) 、居城を萩に選定し、同年11月11日、萩城に入城した。萩開府にあたって、城下町の建設を推し進めるとともに、萩藩経営の安定に腐心した。寛永2年 (1925) 73歳で没し、萩城三の丸 (堀内) の天樹院に葬られた。と書かれた説明板があります。