■松下村塾発祥地 玉木文之進旧宅玉木文之進 (1810−76) は、吉田松陰の叔父にあたり、杉家から出て玉木家 (大組40石) を継いだ。学識に優れ、松陰の教育にも大きな影響を与えたほか、付近の児童を集めて教授し松下村塾と名付けた。この塾の名称は後に久保五郎左衛門が継ぎ、安政2年 (1855) には松陰が継承して、名を天下にあげるに至ったことから、この旧宅は松下村塾発祥の地といえる。建物は木造茅葺き平屋建てで、8畳の座敷のほか4畳の畳部屋・3畳半の玄関・4畳半の板の間と土間の台所があり、別に湯殿・便所がある。と書かれた説明板があります。