■国指定史跡 木戸孝允旧宅 指定説明 旧宅は、木戸孝允 (桂小五郎) の実父、和田昌景の家です。木戸孝允は天保4年 (1833) にこの家で生まれ、8歳の時に近隣の桂家に養子にいって桂小五郎と名乗りましたが、生まれてから嘉永5年 (1852) に江戸に出るまでの約20年間をこの家で過ごしています。
その後、大正15年 (1926) に子孫の木戸幸一氏より当時の萩町に寄贈されたもので、旧宅は桟瓦葺二階建です。木戸孝允が誕生した部屋や庭園など、当時の姿をよく残していたため、昭和7年 (1932) に国の史跡として指定されました。 ■木戸孝允略歴 木戸孝允は、天保4年 (1833) 萩藩医和田昌景 (20石) の長男として、ここの生まれました。8歳で150石の桂家 (末期養子のため90石) の養子になりましたが養父母死亡のため、実家で成長しました。幼名は桂小五郎、33歳の時藩命で木戸貫治と改めました。実名は孝允です。17歳の時には藩校明倫館で、吉田松陰に学んでいます。30歳の頃から藩の要職につく一方、京都におもむいて国事に奔走しました。慶応2年 (1866) には坂本龍馬の仲介によって、薩摩の西郷隆盛らと倒幕に一大勢力となる薩長同盟を結びました。明治新政府では特に五箇条の御誓文の確定に参画し、版籍奉還や廃藩置県の実現に力を尽くしました。これらの功績により、明治以降は西郷隆盛・大久保利通とともに「維新の三傑」と呼ばれました。明治10年 (1877) 5月26日、西南戦争のさなか、45歳で京都で病死しました。 と書かれた説明板があります。
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