■都野父子の美挙をたたえる碑笠山が学術上重要な山として、また風光明媚な観光地として有名になったのは大正15年5月30日、摂政宮殿下が行啓あそばされてからであります。都野豊之進工学博士は翌昭和2年登山を容易にするため多額の私費を投じて山頂まで長さ約千三百メートル幅約三メートルの新道をつくられました。昭和7年3月15日博士が逝去されたあと嗣子正一工学博士はこの登山道と噴火口一帯の土地は個人が所有するべきものではないと考え、亡父の追善として昭和10年3月15日この一帯を萩市に寄付されました。ここに頌徳碑を建てて都野父子の美挙、のちのちまで伝えたいと思います。と書かれた説明板があります。