金麗社は諸隊の本陣が置かれ、高杉晋作・山縣有朋・伊藤博文らが作戦会議をしたところで明治維新発祥の地とも言われています。


奇兵隊本陣跡 金麗社 殉難十七士の碑


■ 奇兵隊本陣跡 金麗社 殉難十七士の碑
幕府の第一次長州征伐の後、長州の藩論は二つに割れて対立していました。ついに高杉晋作らの率いる諸隊と長州藩萩政府軍との戦いの火ぶたが慶応元年(1865)絵堂で切られました。これが太田絵堂の戦いで約10日間の激戦の末、諸隊の勝利に終り、これを契機に藩論は倒幕論へと一変し、明治維新への道を歩み始めました。
金麗社は諸隊の本陣が置かれ、高杉晋作・山縣有朋・伊藤博文らが作戦会議をしたところで明治維新発祥の地とも言われています。境内には後の第二次長州征伐の折、小倉城から戦利品として奇兵隊が得た灯篭一対・大田絵堂の戦いにおける殉難十七士の碑など多くの石碑があります。
美祢市作成の観光観光協会のパンフには、庶民からなる少数部隊が政府軍を倒したことから、金麗社は、出世・必勝祈願に御利益があるとも言われています。と書かれています。
境内の説明板には大田絵堂戦役の諸隊の構成図や戦地の図で戦いの概要を学ぶことができます。また、戦役に使用されたミニエー銃や弾丸、陣笠、薬莢入れ等の遺品は、長登銅山文化交流館の維新コーナーで展示されていると書かれいます。



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