■巧山寺 山門 長府市文化財 嘉永六年(一八五三)米艦四隻浦賀に来航して徳川三百年鎖国の夢破れ国論は支離滅裂我長州藩もまたその帰結を知りません。 国外では欧米諸国が競って全アジアを制圧し最後の塁である我国に迫って来つつあります。時は元治元年(一八六四)十二月十五日夜半高杉先生は遂に意を決して四面の楚歌を排しこの地この処に義挙の一鞭を奮い藩内の俗論派を倒して藩論を尊皇倒幕に統一し薩・長・土の盟約を結び第二征長幕軍を長州藩の四境に迎え討って皆これを敗退させ遂に内は王権を復古して明朗闊達な大和民族本然の姿に返し外は四海を圧する明治維新(一八六八)の基を作られました。 明治維新発祥の地ここ功山寺境内にこの度回天義挙像の建設成り高杉先生当時の姿そのままに只今眼前にあります。この誇りを我等永久に語り伝え言い伝えて子々孫々教育の糧に致さんと切に願うものであります。 と碑脇の説明板に刻まれてすます。 ■花の奇兵隊 草野啓吾 作詩 吉田矢健治 作曲 小町 昭 編曲 三橋美智也 唄 1 怒涛さかまく 渦のなか 鍬ほ刀に 持ちちえて はげむ 洋式調練に 旗もひらめく 尊王の ああ その名も 花の奇兵隊 (内憂外患吾州に迫る 正に是れ存亡危急の秋) 2 元治元 8月の 馬関台場の 戦いに 見せた 町人まげの意地 ああ その名も 花の奇兵隊 (動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し) 3 鼓笛ひびいて 風かおる 国の夜明けに 花そえし 男 高杉晋作と 共に命じの灯をともす ああ その名も 花の奇兵隊 と ボランティアガイドの皆様が持つ説明用のタオルに書かれています。
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