■碑の説明 高杉晋作回天義挙之所 明治維新の策源地 正にこの地である。 回天とは何の意か 天皇親政の古に復えすの意であろう 義挙とは何ぞ 義は正義の義であり忠義の義である この碑き高杉が明治の時代をつくり出した地点をしめす 否少なくもその主たる一人手ある 由来歴史は人を造るが 人はまた歴史を造りもする 高杉は歴史を造る人か 高杉のこの挙は 直ちに近代国家へり進展を見なかったが たしか にその一皇帝を進めたものと言えよう。 と碑脇の説明板に刻まれてすます。 ■横山健堂 大正9年 (1920) 12月建立の「高杉晋作回天義挙之所」碑と格調高い解説を施した副碑は揮毫・撰文の署名が見られないがどちらも論客「黒頭巾」こと横山健堂の筆による。 明治5年 (1872) 萩に生まれた彼は東京帝国大学卒業後、読売・毎日両新聞記者として活躍、殊に人物評論のジャンルに新境地を開いたことで知られる。ふるさとのためには国宝功山寺仏殿の天井にシャクナゲの絵を丸山晩霞に描かせたり、東行庵高杉晋作墓の史跡指定に奔走、自ら海上アルプスと命名した青海島を全国に広めるなどの功績も多い。昭和18年 (1943) 12月24日病没 平成8年3月31日 城下町長府まちづくり協議会 長府観光協会 と書かれています。
|