仙崎が引揚港の役割を終えるまで、この港に上陸した人々は約41万人、ここから朝鮮に帰った人々が約34万人、大混乱の1年余りでした。


仙崎港 海外引揚げ上陸跡地


■ 仙崎港 海外引揚げ上陸跡地
昭和20年8月15日、太平洋戦争が終結し、海外にいた人々を帰国させるため、引揚港として博多、舞鶴などとともに仙崎港が選ばれ、引揚船には興安丸(7079トン)などが使用れました。
翌月9月2日、第一次引揚者7千人が仙崎港に上陸し、仙崎地区の寺院や学校が引揚援護の事務所や救護所、宿泊所に充てられ、臨時のバラック住宅も建てられましたが対応しきれず、民家にも多くの引揚者が宿泊しました。
昭和21年末、仙崎が引揚港の役割を終えるまで、この港に上陸した人々は約41万人、ここから朝鮮に帰った人々が約34万人、大混乱の1年余りでした。
平成7年9月、引揚50周年の記念行事の際には、全国からたくさんの引揚者や家族の皆さんをこの地にお迎えしました。
長門市教育委員会 と書かれた説明板があります。



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