一の坂銀山の往時を偲ぶ逆修石


逆修石


■逆修石 (ぎゃくしいし)
毛利氏が慶長5年(1600)防長二州へ国がえの頃、一の坂銀山は大いに栄えていた。この一の坂銀山を管理していた人は豫州(現在の愛媛県)の人で宇田川肥後守といった。
宇田川肥後守については次の伝説が残っている。
1 一の坂金山が終わった時この岩の川向いの二間右で二夜三日の施しをし、米、大豆、銭、小玉銀等を往来の人に与えた。
2 肥後守は数百日の間人力を費やして一の坂銀山・金山を掘ったがその功なく、あきらめて防府まで逃れ去り宿に泊まった。その夜の夢に太陽が懐に入る夢をみたので急いで一の坂に帰り、もとの如く掘ったところたちまち多くの銀を掘り出したという。
古事によると慶長の初めより元和5年(1619〜20)頃までこの銀山は盛んであり、寛永11年(1634)宇田川備後守がこの逆修石を立て施行した頃が終わりであったという。
次の文字が石に刻まれている。
寛永11年 宇田川肥後守松誉宗鎮立 南無阿弥陀仏 光誉妙喜冥福 10月5日大導日



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