「日を一にし力を一にし心を一にす」とう衆人協同の意であるとされる。


豊栄神社 百万一心の碑


■ 豊栄神社 百万一心の碑
「百万一心」と大きく文字を彫った石が、かつて毛利氏の居城郡古城跡姫丸壇の石垣にあり、文化13年(1816)にそれを実際に見た藩士武田泰信が、この石を御城守護の心柱であったであろうと紙に写し取って、明治15年に豊栄神社に奉納した。その礎石の所在はいまや不明である。
百の字は特に一画を省いて一日とし、万の字は略字によって一力とし、一日一力一心とも解され、「日を一にし力を一にし心を一にす」とう衆人協同の意であるとされる。との説明板があります。
また、碑の脇には次の説明板もあります。
束矢のおしえ
元就公が臨終に際して息子たちに、一本では折れる矢も束ねれば折れないことにたとえて、兄弟の協力一致を説いたという説話が有名である。これは、弘治3年(1557)元就公が61歳の時にしたためた、隆元・元春。隆景宛の自筆書状(毛利博物館蔵)がもとになっているといわれる。「三人心持ちの事」で始まるその書状には、兄弟の協力が毛利家の存続に肝要と述べられ、後世にも毛利家家中の団結の支えとなった。と書かれています。



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