刺客に追われた伊藤博文公が亀山八幡宮の境内で、茶屋のお茶子だった木田梅子に助けられたのが二人の出会いで、その一年後に夫婦になりました。


伊藤博文公夫婦史跡「お亀茶屋」跡


■伊藤博文公夫婦史跡「お亀茶屋」跡
幕末のころ北前船の寄港地として海陸物産が集積し西の浪華として栄えていた下関の街を、明治維新の志士たちが繁く往来していました。
慶応元年 (1856) の初夏、刺客に追われた伊藤博文公が亀山八幡宮の境内で、茶屋のお茶子だった木田梅子に助けられたのが二人の出会いで、その一年後に夫婦になりました。
伊藤公は明治新政府を樹立し、初代内閣総理大臣として日本の近代化と発展に身命をなげうち、明治42年 (1909) 凶弾に倒れました。
明治の元勲と称される伊藤公と、公を支えた梅子夫人が結ばれたゆかりの場所です。
国のため光をそえてゆきましし 君とし思えど悲しかきけり (梅子)
婦人は大正13年 (1924) に77才で亡くなりました。芳梅会 と書かれた説明板があります。



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