壇ノ浦は、瀬戸内海の入口に位置する地形的条件から、昔も今も交通の要衝で、日本の歴史の節目を刻む舞台となっています。


壇ノ浦 源平合戦の地 思い出のバス停


■ バス停 壇ノ浦
西へ東へと一日に四回、その流れの向きをかえる関門海峡。せまい所では、両岸の幅は700メートルあまりで、潮流の速度は、最高で約10ノット (時速18キロ) にもなり、また、瀬戸内海の入口に位置する地形的条件から、昔も今も交通の要衝で、日本の歴史の節目を刻む舞台となっています。
寿永4年 (1185) 3月24日、平知盛を大将とした平家と、源義経ひきいる源氏がこの壇之浦を舞台に合戦をしました。当初は平家が優勢でしたが、潮の流れが西向きに変わり始めると源氏が勢いを盛り返し、平家は追い詰められました。最期を覚悟した知盛が、その旨を一門に伝えると、二位の尼は当時数え八歳の安徳天皇を抱いて入水。知盛も後を追って海峡に身を投し、平家一門は滅亡。日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと移行していきました。なお、この戦いにおいて義経は平教経の攻撃を船から船へと飛び移ってかわし、いわゆる「八艘飛び」を見せたといわれています。



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