明治期の郵便事業にとって記憶されるべき業績 下関南部町郵便局


丸ポストを考案した下関の発明家 俵谷高七


■丸ポストを考案した下関の発明家 俵谷高七
発明家 俵谷高七 (たわらや たかしち) は、安政元年 (1854) 3月21日 島根県に生まれた。その後、赤間関の東南部町145番地 (現在の下関市南部町2番7号付近) に居住し、指物師として生計をたてるとともに、赤間関郵便局 (現下関南部町郵便局の前身) の郵便業用具の制作、改良に取り組んでいた。
そのかたわら自動販売機等の発明考案に没頭し、当時としては画期的な発明を次々と生みだしていった。なかでも、丸ポストの考案や自動郵便切手葉書売下機の発明は、明治期の郵便事業にとって記憶されるべき業績であった。
大正元年 (1912) 9月2日 東京市赤坂区霊南坂町で58歳の生涯を閉じている。
主な発明 考案
明治21年 (1888) 木製煙草自動販売機
明治34年 (1901) 俵谷式柱箱 (最初の赤い鉄製の丸ポスト) 逓信省は、この丸ポストを全国の主な郵便局に設置した。
明治37年 (1904) 自動郵便切手葉書売下機 (現在、逓信博物館に保存)
明治43年 (1910) 俵谷式郵便葉書自動捌器
と書かれた説明板が設置されています。



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