橙園之記 萩の夏みかん栽培の原点の地


橙園之記


■橙園之記 萩の夏みかん栽培の原点の地 旧田中邸内
夏みかん畑は明治9年 (1876) 、この場所に初めて開かれました。その後、繁殖してこの畑の夏みかんは五百本余りになりました。
最初は、私 (小幡高政) が率先して夏みかん栽培を推進しましたが、当時、萩で夏みかんを栽培する人はほとんどいませんでした。
人々は、私が夏みかんを栽培するのを疑いの目で見たり、嘲笑ったりしました。しかし、今日、夏みかんの栽培が盛んになるにつれ、そのような人々も、少しの空き地があれば、夏みかんを栽培するようになりました。夏みかんは萩の名産となり、全国の多くの人々に好まれ、評判の果実となりました。
明治23年 (1887) に有栖川熾仁殿下が視察に来られ称賛されました。これは大変名誉なことで、末永く橙園ほ保護し、この名誉を汚すことのないように勉めなさい。
明治23年7月日
記の脇にある説明板には記の訳文として説明されています。



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