昭和63年には、奈良東大寺から出土した銅塊の化学分析によって、奈良の大の原材料は長登銅山産であることが判明


国指定遺跡 長登銅山跡 奈良の大仏の銅の産地


■ 国指定遺跡 長登銅山跡 奈良の大仏の銅の産地
長登には、昔から「奈良の都に銅を送ったので奈良登といっていたが、いつしか訛って長登というようになった」という地域伝説がありました。昭和47年に須恵器が発見されて、古代の銅山跡であることが分かり、昭和63年には、奈良東大寺から出土した銅塊の化学分析によって、奈良の大の原材料は長登銅山産であることが判明した。
これを受けて、平成元年から10年間本格的な発掘調査が行われましたが、大切谷の各所から古代の作業場や精錬炉等と共に、多数の遺物や木簡が出土して、奈良時代から平安時代中期まで栄えた長門国直轄の採銅・製練官衛(役所)跡であることが明らかになりました。奈良の大仏や和同開珎などの古代銭貸の原材料を産出した日本最古の鉱山跡で、奈良登伝説は真実となったのです。
長登銅山跡には、日本最古の坑道跡が残り、地下には多くの木簡が眠っていて、「埋もれた地下の正創院」とも言われています。日本の古代銅生産の実態が究明できる貴重な遺跡で、中世から江戸時代、明治・大正時代の遺跡もよく残っていますので、鉱山の歴史を研究する上で欠かせない遺跡となっています。
発掘された多くの遺物は、銅生産の歴史を学ぶことができます。



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