組歌は八橋検校 (1614−85) が確立した筝曲の根本形式です。


筝曲組歌発祥之地 山口県山口市 築山跡


■ 筝曲組歌発祥之地
組歌は八橋検校 (1614−85) が確立した筝曲の根本形式です。その整然とした楽式の源流は古く雅楽曲(越天楽)にまで遡りますが、そこから発生した筝の弾き歌いの音楽は、まず中世末期に賢順により筑紫筝として大成され、さらに八橋険校による新工夫が加えられて、今日の筝曲の創始に至りました。
一方、数首の歌を組み合わせた歌詞の請本「筝曲大意抄」の中に、おおよそ次のような話が伝えられています。
天文年間 (1532−54) のこと、山口の大内義隆公卿は、亰から迎えた北の方を慰めるために、しばしば都の公卿殿上人や楽人などを招いて詩歌管弦の遊びを催したが、ある時その席で七人の若い殿上人が一首ずつ歌を作り、つぎつぎと筝で弾き歌いすることが行われた。これが筝の組歌の起源であり、歌の組み合わせなので組歌と言う。これゆえ最初の組歌の曲 (ふき) の歌詞は七首になったが、やがて一人が早世したため以後の曲では六首となった。
この話には疑問があってすべてそのままには受け取れませんが、当時この地に花開いた大内文化を考えますと、むげに否定し去れない面もあり、興味深い所伝です。
この 「筝曲組歌発祥之地」 の碑は、この所伝をよすがとして筝曲組歌の誕生期に思いを馳せ、あわせて往時の大内文化の繁栄を偲ばんとする各地各界の多数の人々の熱意と浄財によって、昭和40年11月、ここ大内氏ゆかりの地に建立されたものです。
昭和61年11月8日 上参郷祐康述 と書かれた説明板があります。



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