■ 鳴滝 | 中原中也碑 悲しき朝 河瀬 (かわせ) の音が山に来る。春の光は、石のやうだ。筧 (かけひ) の水は、物語る。白髭の媼 (おうな) にさも肖 (に) てる。雲母 (きらら) の口して歌ったよ、背 (うし) ろに倒れ、歌ったよ、心は涸れて皺枯 (しわ) れて、巌の上の、綱渡り。知らざる炎、空にゆき、響 (ひびき) の雨は、濡れ冠 (かむ) る。われかにかくに手を拍く (たたく) 中原中也は明治40年4月29日、山口市湯田に生まれ、昭和12年10月22日、30歳の若さで没したが、昭和の代表的叙情詩人として全国的に知られている。昭和9年に詩集「山羊の歌」を出版、その中に詩「悲しき朝」が収められている。 この詩は、巨岩の間を激しく落ちる鳴滝を背景に、時の泰雲寺の老師品川雷応と中也との、ある朝の情景を歌ったものとも、また、愛人長谷川泰子との悲恋に打ちひしがれた心情をイメージしたものだともいわれている。 このため「朝の鳴滝」ではなく、「悲しき朝」になったという説もある。22歳以前の作と推定れる。 中原家は子弟の訓育のため、この禅寺を選んでいたようで名勝鳴滝とも深いかかわりがあった。 この詩碑は、山口市小鯖青年団が中原中也没後50周年を記念し、小鯖地区の文化遺産として、昭和61年11月に建てたものです。との説明板があります。
|