安政6年(1859)5月25日、萩から江戸への途中一行と共に、萩往還に沿うこの地で、しばしの休息をとられた。


吉田松陰先生と夏木原 萩住環


■ 吉田松陰先生と夏木原
江戸幕府により東送を命ぜられた先生は安政6年(1859)5月25日、萩から江戸への途中一行と共に、萩往還に沿うこの地で、しばしの休息をとられた。
そのときの感嘆を、先生はこの漢詩(七言絶句)に託されたのであった。その意は
「私は幕府の命令で江戸に送られるが、自分の真意は天の神に正したらわかるはずである。自分は公明正大である。ここ夏木原では、五月雨がしとしと降りほととぎすがしきりに鳴いている。
ほととぎすは血を吐くまで鳴くというが、その血で、このあたりのさつきつつじも真紅に燃えている。自分の胸中もまた同じ思いがする。」と
わが国の現状を憂い、いく末を案じる先生の心情がよくあらわされている。
先生時に満28歳。
と説明板に書かれています。



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