松並木の間に植え隠れする萩を見返り、分かれの涙を流すと言うので、ここの街道並木を「涙松」と呼んだといいます。


涙松遺跡 萩住環


■ 涙松遺跡
江戸時代、萩城下から山口へ通じる藩士御成街道は、大屋から左に折れるので城下の見えるのもここが最後です。松並木の間に植え隠れする萩を見返り、分かれの涙を流すと言うので、ここの街道並木を「涙松」と呼んでいます。幕末、吉田松陰が安政の大獄で江戸に送られるとき 「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入ぬるる涙松かな」 と詠んで一躍有名になりました。
と碑の脇の説明板に書かれています。



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