南 周防国 吉敷郡 北 長門国 阿武郡 文化5年戊辰11月建立
国境の碑 萩住環
■ 国境の碑 萩住環
萩往還は萩市から山口市をとおって防府市までをほぼ直線状に結ぶ53キロメートル(12里)の道をいいます。
この道は、江戸時代以前から部分的には利用されていましたが、江戸時代になって徳川幕府の一国一城令によって、毛利氏は萩に城を築き参勤交代制度の開始により萩と山陽道を結ぶ重要な道となり、幅約4メートル(二間)の道に整備され萩往還と呼ばれるようになりました。
道すじには、人馬の往来に必要な施設として一里塚や御茶屋、通行人の取締りにあたる口屋などがあり、道の両側には萩往還松が植えられていました。
この峠は、板堂峠といい周防と長門の国境にあたります。この国境の碑は、高さ2メートル余りの花崗岩に
南 周防国 吉敷郡 北 長門国 阿武郡 文化5年戊辰11月建立
と彫ってあります。と説明板に書かれています。
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