我が子に対する因果応報を断ち切るため小次郎の名を古志 (墓石右側面に刻す) と替えて記したという。
佐々木小次郎の墓
■佐々木小次郎の墓
佐々木小次郎は慶長17年 (1612) 4月13日巌流島の決闘に敗れた。
その当時妻のユキは懐妊中であったが切支丹の信者で折柄の厳しいキリスト教の禁令のため夫の遺髪を抱き多くの信者とともに安全な居所を求めて山陰の地に逃れた。
ユキはここの寺ケ浴の真言宗正法寺に身を寄せ仏門に入って尼となり墓を建てて夫の冥福を祈った。
我が子に対する因果応報を断ち切るため小次郎の名を古志 (墓石右側面に刻す) と替えて記したという。小次郎墓古の会と書かれた説明板があります。
お墓はイラオの名水の近くの山中にあります。駐車場はなく道の突き当りに1台の駐車スペースがあります。そこから遊歩道を200mほど進むとお墓に着きます。
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