■筑紫歌都子の略歴 明治37年 7月鹿野村に生まれる (旧姓 竹田カツノ) 5歳から三味線を弾き始める 明治44年 鹿野小学校入学 大正6年高等科へ進学したが福岡に移住家庭音楽会坂本家の養女となり、坂本カツノとなる 大正7年 日畜レコード吹込み時 カヅノを歌都子 (芸名) に改める。 14歳より筝を弾きはじめ、以後バイオリン・大正琴・ピアノ等マスターする。 大正12年 処女作「月光幻想曲」を作曲 当時は筝の楽譜がなかった時代、一度演奏を聴くと採譜し即演奏という天才的才能を認められて、筝の名手高野茂の古曲「大内山」の採譜や三絃譜の記号符考案 大正13年 宮城道雄の作曲筝曲譜春の海他五十七曲 三絃多数採譜する。 また、江良千代の筝の組曲を全曲採譜、川野菊寿より古曲の採譜をする。 大正14年 NHK福岡放送失権放送にて演奏 昭和16年 日本音楽著作権協会会員となる。自分自身の作曲も二十数曲となる。 同年 「九軍神」を作曲・レコードが文部省推薦となる。 昭和20年 鹿野町に疎開、終戦後筝の教室を同町で開き演奏者の養成にあたる。 昭和23年 福岡へ帰還、坂本歌都子から筑紫歌都子と改名 昭和24年 筑紫会を福岡で創立 昭和25年 体調をくずし鹿野で療養後、福岡へ戻り30年に快復、以後各地での演奏会・作曲活動を再開 昭和31年 RKB毎日放送の専属となる。 昭和47年 藍綬褒章受領 昭和54年 福岡市文化賞受賞 昭和59年 10月80歳没、戒名清和院釋尼妙歌大姉 総作曲数 百数十曲 全国及び海外に二千名を超える教授者を養成 筑紫会本部所在地 福岡市南区若久 との碑文の説明板があります。 |